3章 01 大学院2年の春

大人の1年は本当に早い。2年間なんてあっという間だろうに・・・2年目の今年は散々だ。新型コロナによって、とっても気持ちが重い。自分の体調管理をしつつ、みんなの無事を祈る日々。
1か月延期になった確定申告に行った翌々日、緊急事態宣言がなされ、青色申告会もクローズ。
ろくに出歩けず、仕事もキャンセルだらけ。学校もクローズ。
自宅で自分の生徒のオンラインレッスンや動画配信を始めたり、院のレッスンもオンラインで始まった。
仕事がキャンセルだらけならよほど時間があるのだけど、代わりに普段と違うことに急ぎで挑戦しなくてはならず、その準備になど、結構時間がかかる。

でも、練習量は明らかに増えている。先生に提出しなくてはならないコンチェルトの動画がある。その浚いこみもさることながら、基礎固めをしたい。スケールとエチュードばかり。
そんな4月。

余01 音楽家の確定申告

大学院の学費は経費になる!?

資格を取るわけではないから、経費にはならないだろうと思っていたけれど、青色申告会では「あなたの場合はなるかもしれないから税務署に問合せたほうがいい」とのアドバイスで問い合わせる。

①音楽講師をしていること、
②続けながら通うこと、
③信頼を得ることにつながり、集客のため大きな宣伝となること、
④大学でなく、院であること(より専門性が高い)

・・・により、
資格を取るのと同じ扱いでよいでしょう
という回答を得た。

つまり経費になります!!ヤッホ~(^0^)ノ

但し注意点:
税務署で、いつ誰がその回答をくれたか、回答内容と共に記録しておくこと!

0章 受験まで-07 受験の年の4月~

音大大学院を目指すのに、留学でなければ学部の3年頃には視野に入れるだろうに。我ながら時間のなさ、休みのなさ、準備開始の遅さ、はかどらなさなどは、今思い返してもクラクラする。
誰かほかの人が見たら、あ、この人よりマシだわ!と思うかな。

4月

Q音大の院を受けよう!と志す。(仕事しながら通うには遠いが師事したい先生が。)

今年の課題曲をおよそ決めて譜読み~練習開始。

  • 無伴奏 (バロック、近現代)
  • コンチェルト(ロマン派)
  • コンクールピース(近代)

★仕事の年度ルーティン:

  • 5現場のちびっこレッスン
  • コンサートフライヤやチケットの制作、企業のホームページのメンテや制作。などは毎月様々に入る。
  • 週15時間雇用案件(14-20時。こちらも専門職)

このほかに、
親子音楽イベント、コンサート出演、発表会スタッフ~講師演奏等がよく入ってくる。

仕事で毎週200名弱のちびっこたちに会うようになって、いつも畳みかけるように様々なウィルスに晒されていて、発熱、胃腸炎が頻繁。常に白血球が何かとたたかっている状態。
なので体力回復に眠るのも仕事。

5月

レッスン(個人、大学)
課題曲浚う
和声分析

うちの暴れん坊が手術

6月

6/6-6/29梅雨 下旬~夏日開始
コンクール予選用無伴奏録音とエントリー
近代曲、
技巧曲での脱力と発音仕掛けに悩む、試行錯誤が9月いっぱいまで続く

7月 暑さで消耗

近代、現代
コンクール予選、一次二次
ミニコンサート
Pfとの各合わせ

何週間も休みがない。

8月 夏が長過ぎる・・・

ロマン派、近代、現代
コンクール 本選 (院試曲)
Pfとの各合わせ
ホールや音楽室での練習、合わせ
無理してこじ開けた2週間にマスタークラスの開講がなく、家族旅行とメンテナンスで命の洗濯へ

9月 師匠にやっと今年受ける意志を表明

コンサート出演
レッスン、ホールレッスン
Pfとの合わせ

楽器も人間もリペアとメンテ。
リード選定購入もあって更に楽器店通いが頻繁。
仕事の合間の昼休みに沿線のA音大大学院の説明会へ行き、衝撃を受けて2月出願を考え始める。
コンサートで演奏した現代曲の感触がよく、院試の選曲を変更する。

10月 出願

出願…の直前に伴奏者が降りることに。伴奏者探しに奔走。なかなか見つからない。
レッスン中に、A音大(院)の11月受験が急激に決まる。既に出願したQ音大(院)と課題曲が違い、更に厳しい1ヶ月となる。
リペア
ピアノと合わせ
音楽史

11月 出願2

院試2校
院試期間中プレコンサート(暗譜が完了しない💦)
院試2日後コンサート(無伴奏劇中歌新曲)
ピアノと合わせ、
伴奏者を伴うレッスン
楽器の不調多発しフルリペア
暗譜(前夜になってもまだ自信がなくて何度も何度も確認していた。最後までジタバタ)
音楽史。試験後も復習。

院試直前に夫両親逗留。練習できない日も。

院試後、新しいリードを試す。

11月末-12月 合格発表

12月~

コンサート
ミニコンサート。
スケール、エチュード 重点的に。
年度末までの課題曲としてコンチェルトの選曲
院試成績開示
入学手続き

各方面へお知らせ、ご挨拶、クライアントと来年度スケジュールの調整開始

0章 受験まで-04④準備:意志表明

準備その4

4.先生と家族に意思を伝えること
5.伴奏ピアニスト探しと依頼


4.家族に伝える

驚いても特に反対されなかった。
生あたたかい目で応援してくれているけど、受験が本格化してから私が家でもまるで分刻みのように動いているから、週一くらいはゆっくり話をする時間が重要だ。

4-2.先生に伝える壁

私の(時間を含む)実力の程度を最もわかった人々に、
人生で1番浚い込んでいる(と思われる)現役に混じって受験することを申し出る精神的ハードルの高さ。(@_@;)

年度初から準備はしているものの(…といいつつ度々仕事の演奏案件で新曲の浚いこみがあるし、いくつか試していたため選曲完了が院試1か月前という危うさ。)、やっと心を決めて伝えられたのは、実はなんと院試3ヶ月前。
だけど、伝えたことによって見えなかった道が急激に浮かび上がり、協力者は増え、更に更に 時の進みは速くなり、万札には羽が生え、血管が切れちゃいそうなほど多忙な日々に突入した。
T先生は何も言わずに具体策を打ち出してくださり、私がホールや音楽室でレッスンやコンサート形式をしたいと言えば出向いてくださった。S教授は「え、まだ暗譜出来てないの? 学部生でさえ落ちてる。ホントにすごいんだよ(例:暗譜が出来てから更にコンクールをいくつも受けてきた状態で受験する。ライバルはクラリネットだけではない。留学生や留学帰りも受ける)。試験は公平に見るからね。」と仰りつつ超ご多忙中に真剣に見て(看て)くださった。

5.伴奏者探しと依頼

基本的に自分で手配しなくてはならない。(留学生など、遠方からの受験でなければ)
院試は各校で3~4日あり、演奏実技は2日間くらいで実施されることが多いようだ。
ただし、自分がどの日に割り振られるのか、1か月前にわかることもあれば、出願者が出揃ってから割り振られる場合もある。ただし、詳細なタイムスケジュールは、ごく直前に告知されることが多い。
だから、せめて2日間のスケジュールを空けてくれるピアニストを探さなくてはならない。

私の場合、決まっていたのだけれど出願直前に余儀ない事情で降りられることになってしまったため、そこからの伴奏者探しはとても大変で、決まりかけてはダメになるという…。そのために更に練習時間も割かれ、受験だけでもハードルが高いのだと感じた。ともすると受験すらできなくなりかねかったが、
その日は不都合だった院の先生や院生さんが、院に掛け合ってもくださった。最終的には電話で直談判的申し入れ。

かくして・・・最終的に伴奏は、特例として院が手配くださった方と、なんと先生の奥様(音高の先生)がつとめてくださった。ふーーーっ!!冷や汗と涙。


備:

何度も一緒に本番を経られたピアニストと挑めるのがベスト。

でもそうでなく急な場合、例えば演奏会のプログラムに乗りやすい曲や伴奏科の受験科目になっているようなスタンダードな選曲をしておくと、ピアニストにとってもレパートリーになっている可能性があり、ミニマムな練習と合わせでできるので、急でも受けてくれやすかったりすることはあるかもしれない。

よく伴奏ピアニストの紹介依頼やの伴奏謝礼を尋ねられるので、ごく参考までに書いてみると、単発なら、合わせ2回で学生さんだと1万円~。プロになると2-3回合わせで2~3万が最低ラインかな、と思われる。2018年現在。
しかし人それぞれではあるので、直接たずねたりすべき。

0章 受験まで-03 受験可能?

★一般大学出身者が、音大の大学院に行くって可能なの?

Yes.可能。
音楽大学を卒業していること、と書かれていない大学院なら可能。
募集要項を見た首都圏4~5校については音大を卒業していること、とは書かれていない。
むしろ、短大から音大編入には、音楽系短大の単位を履修している必要があるところも。

私の場合:
大学の専門は全く別で栄養学。音楽のオの字もなく。
だから成績証明書にやや匹敵?するように、出願時に資料となり得そうなものを大急ぎでまとめた。コンクール戦歴なども。自分なりのプレゼンの一部として。
数年前に取得したABRSM英国王立音楽検定後日詳細掲載)ディプロマの検定スコアと試験官コメントのコピー、更にどういう検定なのかという説明に、もしこれまでの履修内容やレベルの判断材料になるようであれば…と読む気がなくても目に入る大きさで(笑)一筆付けて添付した。
大学院によっては面接で、検定のことと英語は堪能なのかという質問があったので、添付は目にされていたと思われ、資料として添えないよりはマシだったのでは?

私にとっては、出願を前向きに考える精神的な足掛かりとなった大きなひとつはまさにこの検定だった。